建築家たちの20代

<Renzo Piano>
建築は氷山のようなもので、目に見える海面の上に顔を出している部分は本当に小さいかもしれないけど、その下に見えない部分には実に巨大なものがある。
大切なのは、全て自分自身の中から生まれてくるということ。自ら考えたことから出発するということ。
砂で遊ぶような馬鹿馬鹿しいことをしていたが、そうした実験を自分自身のやり方、取り組み方でやっていったというのが重要。
 
自分自身のルーツがある。そういったことの価値を見直し、更にそれを深く掘り下げていって、自分が何者であるかを知り、自分が積み重ねてきた蓄積を発見していく。これはまるで石切場の中で自分の地層を掘り起こすようなもの。
 
昔から言われていることであるが、人間は子供の自分に人間としてやることをすべて経験している。その後の人生というのは、子供の時自分自身が知ったこと、身につけてきたことが何であったかを追い求めていくもの。
自分のルーツを忘れることなく、他の誰でもない自分自身が持っているものを確認して、自ら決めたやり方で取り組んでいくことが大切。
 
他の誰を真似るでもなく、自分自身のやり方、自分自身で決めた方法で、自分と対峙することによってその道を歩んでいかなければなりません。
 
建築と人生、つまり、生きていくということは決して分けることが出来ないくらいに、お互いに深く絡まり合っているものだ。
大切なのは若いうちに自分自身で物事を決定していく力を身につけること、そして、独り立ちできるだけのものを自分自身の中に植えつけていくこと。自由であること、能力を身につけること、好奇心を持つことが必要。
他の人間がどう言おうと、ただそれをれ鵜呑みにしてはならない。誰が言うことも無防備に信じてはいけない。
 
自ら決定する力をどう身につけるかが大事。
そのために2つのことが重要
1つ目に、好奇心を持ち続けること。
人生とその他のすべての事柄に対して好奇心を常に持ち続けるということが必要。
2つ目に、高度な技術と能力を身につけなければならない。どんなことであろうと、それをどうやれば実現出来るかに関して熟知することも必要。そうしないと、「それは不可能だ」と言われた時に「こういうやり方でやればできるはずだ」と説得することが出来なくなってしまう。何かを実現させるための技術、そしてまた、そういったことについて自由に決めることができるだけの知識を身につけていくことは大切。
 
したがって、決断力とは唯の精神の状態というだけではなく、技術的、科学的、そういった全ての力を統合した上で自ら決定を下せるような能力である。
自分の決定に対して、それをれ裏付けることが出来なければ意味がない。
 
建物をつくる人間として、文化的な意識と考え方をもつ人間として2つの側面を同時に融合させなければならない。
 
自由であること、強い人格を作り上げること、そして自分で決定するようなことができるような力を身につけること。それだけでは不十分で、頑固であることも必要。
崇高なまてまの頑固さ、意志の強さを持つということ、そうしないと、結局物事の本質にまで分け入ることはできず、ただそのものの周辺をうろつくだけになってしまう。
ただ、やみくもに頑迷に追求していくだけでは道を間違えてしまう可能性がある。それでは、本当の意味での頑固さを身につけたことにならない。
そういう頑固さ、そういう意識を持ちながらも同時に必要なのは、それらを統合するような軽やかな知性ではないかと思う。他の人の話に耳を傾け、受け入れることができるような柔軟な姿勢と意識とを常に持ち続けなければならない。
 
雑誌を読まなかった。情報が氾濫してる状況では、知識の量は凄まじく広がっていくが理解しているものはどんどん減っていくばかり。
情報が増えるということは麻薬中毒のようなもの、段々と依存症になってしまって、更にたくさんの麻薬なり情報がなければ満足することができなくなってしまう。それと同時に考える力も停止してしまう。
 
プライベートなひと時を独り静かに過ごすということを習慣として身につけていくことを勧めたい。
 
20代で大切なことは、プライバシーを守っていく術を身につけていくこと。情報を集めるために自分の持っているエネルギーすべてを費やすのではなく、1日の中で静かに過ごすひと時を自分の習慣として身につけて欲しい。
本当に大切なことは何なのか、本当に大切であることとそれ以外のことはどういうことなのか、それを自分自身で理解しようと努めることが大切。
 
 
 
<Jean Nouvel>
教育によってある程度方向づけられるというものがある。私が考える一番良い教育とは、まず自分が今何をやっているかを分析する能力、自己を診断する能力を高めるというもの。
自分の先生であるパランとヴィリリオをどういう位置に位置づけるかが難しかった。
パランが教えてくれたのは、建築設計において一つの解決方法しかないということはない。常に幾つもの選択肢がある。
ヴィリリオが教えてくれたのは、観察する能力、あるいは判断するという概念。建築が出来たときに、それが一体世の中でどのような意味を持ち、どのような関係を作っているのかを観察することが重要である。
だが、自分はすべてのものを包括する次元にある「特異性」を何よりも重要視して、それを探し出すことを自分の設計の基本としている。
分析の段階があって、そこからある特異性を抽出してプログラムを解いてから、最後に形態の問題を取り扱う。まず形ありきではなく、ある条件のもとに設計を頼まれたときの様々な分析から特異性を導き出し、最後に形が生まれて来ている。最も興味があるのは、こうした戦略上の概念。
 
アドバイスをすることは非常に難しい。なぜなら、それぞれが自分で自分の進む道を探さなければならないと思うから。
若い建築家にとって一番良くないのが、文化的なカテゴリーというか、一つの典型的なモデルが出来上がってしまう状態。
19世紀から20世紀にかけて、都市は急激に拡張し、材料が増え、モダニズムが既存の原理や法則の再検討を求めた結果、そういうものが根底から崩れてしまった。カオスを認めざるを得ない。
従って、建築家というものは我々が置かれている状況をいかに分析して、いかに明解な提案をだせるかにその存在意義があるといえる。
若者に言えることとして、出来るだけ時間を懸けて幅広く深くものを考え、新しい提案を行うための条件をつくることが一番大切ではないかということだ。
 
20世紀のポエジーというのは、やはり技術にあるのではないかと思う。エンジニアたちが、その技術を劇的に演出して見せることに喜びを見出していたのは事実。現在、その状況は全く変わっている。今の時代感覚でいうと、技術が表に出てくるのではなくて、むしろ、なぜそれができたかすぐには分からないような技術が最も新しく感じられるのではないか。恐らく、今世紀末から来世紀にかけて、どのようにものが出来上がってきたかという過程を視覚的には認識させないような建築家あるいはエンジニアが最先端をいくと言えると思います。それには天才的な才能がないとできないでしょうけど。
 
<Ricardo Legorreta>
自分の国について学ぶということは、いたずらな模倣や古くさいものをつくるのではなく、自分のルーツに根ざしつつ、現代という時代に即したあり方を可能にすることである。
建築について、何か具体的な理論とか方向性を定めて取り組んで来たという意識はなかった。あくまでも問題に対して素直に取り組み、自分自身に対して正直であり、その中でベストを尽くしていくという、そういったやり方を通じての建築を心掛けて来た。
私自身は非常にロマンチストだと思う。ロマンチストの心情を持っている人間にとっては、硬直化したものというのは本質的にはそぐわない。
ジャーナリズムというのは、情報を得るための道具。一度媒介があるから情報には注意するべき。旅の大切さ、意味を忘れないようにして出来るだけ機会を作る。
私たち1人1人自分の好みを知っています。自分は何が好きなのか、どういうところが自分にしっくりくるのか、何が自分たちにとってハッピーな気持ちを起こすのか。そういった好みを建築の方に応用すれば、自分たちが好ましいと思う空間がどういうものなのかも分かってくる。そう言う所にまず行って、訪ねてみるべき。
もう一方で私たちを驚かせ、そしてまた私たちが予想していなかったものを与えてくれるような建築もある。そのような自分にとって分からないもの、そういったところに敢えて足を向けるということも大切。
他の文化を理解しつつも、自分のルーツ、そしてまた自分たちの個性を保ち続けるというその挑戦に取り組む必要に迫られている。
 
何が本当に必要なのかということを自分なりに真剣に掘り下げていけば、答えは自ずと見えて来る。
そして言い訳はしてはいけない。運が悪かったとか金がなかったとか、恵まれた状況ではなかったとか言い訳を繰り返しがち。
自分の持っている考え、アイデアは諦めてはならない。この職業には英雄になれるというささやかな幸運が潜んでいる。
 
<Frank O. Gehry>
建築というのは人のために建物を作るということ
人に感情を喚起させるもの、それがどのような感情であったとしてもすなわち感性を刺激するものこそが建築である。仮に怒りであっても、人に何かを感じさせることができるかどうかが私にとって建築を判断する際の基準なのだ。建築なのか、芸術なのか線を引くことは無意味。要はバランスが大切で、アーティストの世界にも建築の世界にも引っ張られないようにする。
 
大事なのは自分の能力・自分の力を見つけ出すこと。自分が他の人と違う何かを持っていることは分かっている。それがより優れたものかどうかはわからないし、他人と比べて良いのかどうかも分からないけどとにかく違う。やりたいと思う発想があって、それをやり遂げるのが重要。そんな時に他人の作品を横目で見ると、自分は果たして大丈夫なんだろうかと神経質になってしまう。
自分の発想を繰り返し繰り返し鍛えていく。そして、だんだんとはっきりとした形にしていく。人は1人ひとり成り立ちが違っているわけで、それを建築でも、あるいはそれ以外の作品でも表していけばよいのだ。それを見つけ出し得た人ほど力のある人はいないでしょう。もし設計に興味があるのなら、それを見つけ出すことが何よりも力強いことなのだ。
 
書、造園、絵画など本当に自由なものがあってそこから、インスピレーション、自由な発想を得ることが出来ます。芸術に関わる行動というのは直感から出てくるものです。直感を信じてやることを学ばないといけない。もしあらかじめ何をやるのかがわかってしまっていたなら、私たちは何も恐怖を感じることはない。
 
クライアントとの非常に密接な共同作業の賜物。
 
I. M. Pei
 
建築を建てるために土地が必要で土地には歴史を持っている。歴史こそが建築と建築家にとって極めて重要なもの。
事務所が大きい場合、200.300人もいる場合、デザインに集中することは難しい。2.300人全員に給料を遅れることなく出せるかどうかに1番集中してしまう。
仕事が成功する、大きいプロジェクトをやりたいとなると、オフィスの規模も大きくなり、逆に事務所の奴隷になってしまう。
現在、事務所のアシスタントは2人、たった2人だけたということで自由を選ぶことができる。助けが必要な時は色々なところと協力をする。それには高いお金を払わなければならないけど、このやり方のほうが良い。
歴史が大事だと私が行った時には、それはまさに場のルーツを認識することが重要だという意味。だから、私は現在、仕事を選び、特に立地、敷地を選ぶ時にそこが面白い歴史を持った土地なのかどうかという観点で選ぶ。
旅から学ぶためには行き先の歴史から知らないといけない。
 
 
Dominique Perrault
建築を考える時にどうやって建てるかに執着しがちだが、重要なのはなぜ建てるか。
 
2人の人がいる平面があり、建築を作ることで2人がバラバラになってしまった。
なぜかというと、2つの空間を分離するために建てたのだと、これがなぜの説明。
どうやって建築を建てたかというと、例えばどういう材料なのか、透明か不透明なのか。
なぜとどうしては一体となっている。
 
 
 
雑談
 
アメリカ人はどうして発想が豊かなのかと聞かれた時にアメリカには色んな国、文化の人がいるから、簡単なことをしようと思っても違う文化の人と交渉しなければならないから。