タキゲン本社ビル / 高松伸 / ★★★

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作品HP:http://www.takamatsu.co.jp/projects/details.php?id=133

所在地:東京都品川区五反田

竣工年:2014

プログラム:オフィス

構造様式:鉄骨造

延床面積:4614㎡

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高松伸の後期(1990年以降)の作品であるため、比較的一般的なボリューム・外装であるが、ディテールは高松らしい機械的で鋭利なものになっている。

大きなガラスボックスにコンクリートの重たい庇を持ち出され、手動式縦軸回転ルーバーはガラスの内側に設けられる。ルーバーを内側に設けるのは珍しい操作のように感じる。内側に設置するメリット・デメリットを下記にまとめてみた。

メリット

①手動での回転が可能

②雨仕舞などのディテールの煩雑さがなくなる

③内部空間への大きな影響

④カーテンやロールスクリーンが不要

デメリット

①床面積が少なくなる

②窓の開閉が面倒

③清掃が面倒

④外部へのルーバーの意匠的な影響が少ない

外部に用いる場合が多いが、内部にルーバーを配置するのも悪くないように感じてくる。

外部の手摺、外部建具、ドアハンドル、庇は鋭利で機械的な形態を用いられる。本建築物のように部分的に突飛な意匠を用いる方が上品さを感じる。ただ、鋭利で機械的な形態が使いやすさに直結することはないだろうから、使い手を選ぶような建築・コンセプトであることは否定できない。

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計画過程における設計者に対するクライアントの要請は大きくは次の2点に集約されたと言って良い。第一に創業者が経営哲学として掲げるところの「三位一体の精神」即ち、「社員」「社員の家族」そして生産を司るところの「協力工場」が一体となってこそ企業の持続的な成長が可能であるという理念を建築として実現すること。第二に3.11の経験を踏まえ、なによりも社員の命を守る建築を実現すること。

第一の要請はある意味象徴的な課題であったと言えよう。それに応うるにあたり、設計者は「家」という概念的かつ具体的表徴を設定した。つまるところ社を支え、社によって支えられるところの全ての人々がともに暮らす「大きなひとつの家」の如き建築である。全階ほとんどワンルームの如き開放的な平面計画、主として自然素材を用いたぬくもりに満ちた内装材の開発、手動式縦軸回転ルーバーなどは、ややもすれば冗漫になりかねない設計過程を「家」という表象の原点に繰り返し回帰せしめることによって見出した解法であると言ってよい。特に、タキゲンが考案したベアリング内蔵角度設定回転軸受によって指一本で開閉角度を調整することが可能となった全周748枚の木質回転ルーバーは、各自が自由に光をデザインすることによって、まるで家の中でひとりひとりが思い思いに自分の場所と空間を紡ぐが如き効果を生み出す結果になったという意味では第一の要請に対する具体的かつ技術的成果があったとの自負がある。

第二の要請はより現実的で切実である。従って、その課題への応答は、各階コア部分における制震構造の採用、最適化プログラムを用いた耐震強度と構造体の軽量化の追求、耐震クリップ工法による天井下地や設備機器の落下防止、浸水を防ぐ防潮堤の設置、災害時の社内待機を想定した備蓄スペースの確保、全店への指令拠点機能維持のための自家発電設備の装備など、具体的かつ多岐に及んでいる。加えてこれらの処法の全てがクライアントによって繰り返し検証され、常に自ら掲げた要請に立ち返りつつクライアント自身によって決定されたということはここに特筆すべきであろう。

竣工の日、件の回転ルーバーから洩れる光に華やぐ和服に身を包んだクライアントの一言が、今も我々の耳に木霊している。「社員が毎日ワクワク生活できるような社屋をつくっていただきました。」さて、「社屋」という言葉が、どうしても「家」という言葉に聞こえてしまうのは、我々の思い込みの強さの成せる業であろうか。ともあれ、優しく強く、そして時の移ろいの中でまるで光を呼吸するような建築がひとまず産声をあげた。その誕生を手伝った者としては、ここで営まれ、綴られるひとつの家族の物語を是非とも見守り続けていきたいものである。