岡山、京都、金沢散策

<目的>
・日本庭園などを見て自分の理論を明確にする
・それぞれの気づきをまとめる
・日本における庭園についての考えを書く
 
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岡山西警察署 (磯崎新) 8
特徴的な円柱が独特な威圧感を出していた。何か特別な場所だということを感じさせる何かがあった。円柱かあることでそこに影が出来て、季節・時間によって空間が変容していく。また、円柱の上に三カ所開口部がありそこから入ってくる光も計算されているのだろうと感じた。室内の吹き抜けの空間も円柱が同じリズムで連続して置かれており、外部と似たような空間が形成されていた。全面ガラス張りであり、連続性がもたらされている。この建物は後ろ側の建物と手前とで分断されて雰囲気が異なる。建物の表の顔と裏の顔を建築でも表しているようで面白かった。表の顔も中々恐ろしい威圧感があるのですが。周りにある建物は濃い茶色の木造で塀と共に作られており、外部の田んぼと調和していた。
 
 
後楽園 8
ラッキーにも無料のガイドさんと一緒に回ることができた。
庭には、歩きながらみるための庭・建物を建てそこからの景色を楽しむ庭がある。
後楽園は後者らしい。屋根から出ている線は鳥が木を持っていくのを防ぐため。木に薄い木を巻くのは、害虫が冬場寒いのでそこに集まり、冬の終わりに一気に殺すため。城主の好みによって庭の形状は変わっていく。大きい岩を36個に割っており、それを同様に組み立てる。木でモックアップを作っていて、それを恐らく幾つも作ったのだろう。そして、見比べてこれが良い、これがダメだという具合に。今の建築学生と変わらないぜ。時代のある建物はそれを想像する楽しみ方もあるな。水面の高さが違うのも驚いた。どのようにしたら、水面の高さを変えれるのだろう。
その後の水が真ん中を通る建物は気持ち良かったな。二分された場所でも広くとっているのとそうじゃないのとで、差を付けているのは良いと思った。天井に照らされる水面からの光、切り取られる景色。気分の良い空間。条件を押さえている。
滝は音が立つのが良いとされ、水の落ちる場所は細く、そして、下は岩になっていて、音が鳴りやすいようになっている。
 
Junko Fukutake Hall (SANAA) 8
一重にSANAAの日本的感を一番顕著に表している建物。庇を降ろすかんじ(個人的には木が枝を広げるかんじ)は日本住宅を表しているように感じる。
 
 
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大木の周りに人が集まる。特に葉っぱがなくて明るい大木だと尚更。
日本人は松の木の下のような家を作りたかったのではいなかと俄かに思ってしまった。
京都の御居に居る時にふと立ち止まり、松の木の下の心地よいことこの上なし。真ん中に軸となるようなものが据えられ、そこから木が不規則に出ており、影を作る。また、地面は松が落ちており、ふかふかでまたそれも気持ちよい。
全体的には広々とスペースを使っていて、それが気持ちよさを出している気がする。大きさはやはり大事である。一般的な道ではなく、松の道を蛇行しながら散歩していたおじさんも面白かった。
 
ひのきですな。
 
 
思ったより荘厳感がなかった。どうしてかな。同じものの連続だけどあまり美しさがない。一つ一つが献上された物で、形や大きさが微妙に違ったりするからかな。量は多いけどイマイチな感が否めなかった。清潔感もないからかな。
 
 
日本離れした街並は壮観だったな。提灯があって、それが消えているか付いているかで、店がしているかしていないかが分かる。女性の前にはタバコを吸ったおばさんが居て、威圧感をかけながら客引きをする。連携プレーができているよな。
 
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聴竹居
一つ一つに気を配り、意味のないものがなくなるまで突き詰めた素晴らしい住宅。藤井厚二には頭が上がらない。縁側の透視図に始まり、あげればきりがない。
 
大自然を庭に落とし込もうとしていた。
それぞれに特徴を出して、きめ細かい所まで意識できていれば、人は感動するらしい。
 
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利に叶ったダイナミックなデザイン。豪雪地帯であるが故に、それを避けるための機能的な屋根。最高ですな。アーケードがそのまま通りにずっと繋がっていたのは地域の特徴を感じる。
 
 
 
14:00-
鈴木たいせつ館
 
17:30-
金沢駅→名古屋
4180円
カプセルホテル
 
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Clover House (MAD Architects)
建設中。周囲と馴染みそうな印象を受けた。大きさといい、形状といい。
 
Dragon court village (Sano Satoshi)
この間のオープンハウスに比べたら月とすっぽんだな。全然こっちの方がよい。快適な建物だった。
 
日本人は松の木の下のような家を作りたかったのではいなかと俄かに思ってしまった。
京都の御居に居る時にふと立ち止まり、松の木の下の心地よいことこの上なし。真ん中に軸となるようなものが据えられ、そこから木が不規則に出ており、影を作る。また、地面は松が落ちており、ふかふかでまたそれも気持ちよい。
 
MADのしようとしていることは建築を用いて、自然を都市に出現させること。
日本庭園は偉い人がおままごとで、大自然の大きなミニチュアを庭に作り満足した。
だから、そういう意味ではMADのしようとしていることと日本庭園でしていたことは近いのかもしれない。人は何かを造形しようとする時に何かを模そうとする。それは今も昔も自然であったのであろう。河、山、池、滝などを模す日本庭園。その美しさはMADにも共通しているのかもしれない。
Shanshui Cityはまさにそれである。
 
前半の方が感想が長いが、確かに文章を書くのに疲れたというのもあるが、実際にそう感じたのだと思う。人は最初の方が感性が敏感なのではないだろうか。疲れもないし、飽きもない。そういうことも意識した建築を。